モノが送られるということは人が送りこまれるということでもあって、農村出身の学生の下宿も都市に住む親戚の家の二階、離れであることが多かった。モノ、人だけでなくおカネもまた都市と農村に分かれて住む家族のあいだを循環していた。「いろり端のある家」と「茶の間のある家」は家計を共にする、という意味のハウスホールドの境界が曖昧であった。現在の学生たちと実家との関係もまた、似ているのではないだろうか。現代の学生の授業料、生活費はたいていの場合、実家の家計のなかに含まれている。
[参考情報]
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昔のイメージのような苦学生はいないし、だからこそ授業料、生活費をアルバイトで稼ぐ少数の学生は過酷きわまりない状況におかれている。親たちは子どもたちの早い独立を願う一方で、彼らがまだ巣のなかにいることを確認するために米を送るという、いわば儀式を行っているのでは。「実家」と「虚家」とは、電話と仕送りという生命ラインでつながっている。長いヘソの緒のような生命線である。これが「リビングのある家」/「ワンルーム」という住まいの新二重構造モデルなのではないか。むろんこれに対応する家族モデルもまた、「家庭」家族/個人の新二重構造である。新二重構造モデル成立の時期を一九七五年前後ということができそうである。ワンルームマンションは、れっきとした発明品であって、ワンルームマンション第一号は、一九七六年にマルコーというアパート管理専門会社が建設した「メソン・ド・早稲田」と特定できるからである。