官庁というのは、民間の開発事業が減ってしまっても、なんの痛手も感じなくて済む機関であるが、そのために失敗と感じなかったり、誤った政策をいつまでも続けていられるのである。誤れる都市計画のために宅地がなくて家が手に入らない人々の被害をどうしたらよいのだろうか。開発業者のほうも、このように事態が行き詰まってしまったので、当然デベロッパーの旗を巻いてしまい、弱気なだけで上物作りに専念中である。誰も儲からない宅地開発などやりたくないのが当然であろう。
京王線(高幡不動)の新築一戸建て
京急久里浜線(三崎口)の新築一戸建て
京急本線(屏風浦)の新築一戸建て
JR山陽本線(廿日市)の新築一戸建て
JR関西本線(久宝寺)の新築一戸建て
東京の下町のように、道路以外はビッチリ建て込んだ建築密度の高い居住環境でも、なんとか日照は採れるし、全部不燃建築ならば、災害の恐れも少ないのである。地価が高ければ、一般の要望は当然高建築密度の方向へ傾いてくるのに、政府の計画や規制の根底には、いつまでもまず「田園的郊外」の理想があって、その規制をかけた後で、現実の圧力でジリジリ後退するパターンが日本の都市計画の歴史でもある。したがって、何ごとも後退しながら現実とやむを得ず妥協する中途半端な対策しか日本の都市政策はできないのである。それはまた、得てして、欧米を理想化し、日本の現実を俗悪視するのが、日本の知識人たちのこれまでの思考パターンであることも一致していたので、やむを得ないことだったのかもしれないが、まことに残念である。